田原総一朗さんとの出会い(1)

私が20代半ばのころに企画運営の責任者を務めた、3,000人規模の新入社員向け講習会がありました。各界の著名人たちを講師として招いて、さまざまな話を聞くことができました。

当時、田原さんは東京12チャンネル(現・テレビ東京)を退社してフリーとなって約10年経ったころで、執筆活動を中心に知名度を上げていましたが、まだ「朝まで生テレビ」の司会を始める前でした。

私は田原さんの著作を読み、その情報に対する嗅覚の鋭さに感銘を受けて講師の依頼をしました。

田原さんとはこのご縁で、経営者向けの講演会などで登壇してもらい、2000年ごろまで仕事上のお付き合いをしていました。大変律儀な人で、私のような者にでも今でも欠かさず年賀状をいただいています。

新入社員向けの講習会での講演内容で、30年以上経った今でも忘れられない話が二つあります。

一つ目は、本当に価値のある情報というものは、新聞などのメディアには取り上げられず、人から人へと対面で伝えられていくものであるという話です。

一つの例として、筑波研究学園都市がなぜできたのか、言い換えれば、あの場所がなぜ研究学園都市として開発されたのかという政治の裏話が紹介されました。

あの地域が開発されるという情報を、政府が発表する以前に知っていた人たちとは一体だれなのか。その情報を知っていたことによってどのようなことが起きたのか。朝まで生で議論したい気持ちになりますね(笑)

田原さんによれば、田中角栄元総理がヘリコプターで東北方面に行った帰りに、筑波の上空を飛んでいて、「ここらへんがずいぶんと空いているな」という話から開発の話が始まったとか。(続く)

2025年07月20日