もう一つの話は、田原さんが東京12チャンネルのディレクターをしていたときのエピソードです。
70年代、成田空港の建設に反対する農民や学生たちのいわゆる成田闘争(三里塚闘争)が激化したとき、その取材のために田原さんは現地に赴きました。
当時のニュース映像は、私も記憶にありますが、農民たちとヘルメットをかぶった学生たちが、物を投げながらゲバ棒を振りかざしてカメラの方に押し寄せてくる姿が映し出されていました。
田原さんはディレクターとして、カメラマンに撮影の指示をしなくてはなりません。最初は、テレビのニュース映像で見るのと同じアングルで、機動隊側から農民や学生を撮影するよう指示していたのですが、ふと反対側、つまり農民や学生の側から撮影してみようと思い付いたそうです。
テレビ局各社から現場の様子を報道しようと集まったメディアは、農民側にはいませんでした。
田原さんは農民側から機動隊の側を撮影した映像を見て、ギョッとしたそうです。完全武装した機動隊員たちは、盾と警棒を持って壁のように並んでこちらに向かってきます。その威圧感は恐ろしいほどで、農民たちはよくあんな相手に向かっていけるものだと思ったそうです。
それ以降、田原さんは物事を考えるとき、あるいは情報を集めるときには、片方だけではなく逆の立場からも光を当てて考えたり、情報を集めたりするようになったとのことでした。
田原さんのこの教訓を教わってから、私も常に逆の立場から考えるということを実践するように心がけてきました。